私は元調理師です。

実家は大阪市南船場で食堂を経営してました。
私も家業を継ぐべく調理師として食堂を手伝ってました。
食堂は欧風料理と名乗ってました。戦後間もない頃は、そこそこの高級店だったようです。

私が働いていた頃は大衆食堂でした。
ハンバーグにトンカツ、チキンカツ、カキフライ、コロッケなどなど。
私は今でも手軽にパパっと作れます。
60歳になりますが、脂っこいもの、ぜんぜん大丈夫です。
むしろ無性に食べたくなります。

そんな私でしたが、私には違う夢がありました。
身の回りの物を手作りしたいと。
家や庭、家具や食器、野菜や果物、料理にお菓子などいろいろな物を.

自分の生活環境の全てを自分で手作りしたかったのです。

自分で建てた家に住み、部屋の中には自分で作った家具が並び、家の外には庭と家庭菜園、キッチンでは自分で育てた野菜とうちの鶏の卵で調理。

そんな生活がしたかったのです。

そんな思いが募り、24歳のときに家を出させてもらいました。
そして福岡県の山の中の家具工場で5年働き家具の修業、

その後職業訓練学校の建築科で学び大工の修業。
卒業はちょうどバブル景気の頃で、東京都内で大工として働きました。

その後、富良野で基礎工事の仕事に就き、基礎工事、コンクリート工事、ブロック工事を学びました。

とうとう自宅建築に取り掛かれるだけの知識も経験も身に付けたぞ、あとは資金だけだ!

となりましたが、資金が大問題です。

しかし、幸運が続き、なんとも不思議な形で資金も調達できました。

ちょうど基礎工事の仕事が二年目となり、自宅の建設のための基礎工事が不安なく行えるくらいの経験を積んだ頃のことでした。

忘れもしない1992年の夏のことです。

北海道にセルフビルドの家を建てて暮らす。

そんな壮大な夢が、目の前のことを一歩ずつ取り組んでいるうちに叶ってしまいました。

今も毎日、少しずつ内装の続きをやったり家具と作り足したり築30年近くなった我が家の手入れをしたり、忙しい毎日を送ってます。

春から秋にかけては山仕事、庭仕事、家庭菜園、そして大工の仕事に大忙し。

充実した毎日です。

毎日毎日が夢をかなえ続けて生きているといえるかもしれません。

私と珠帆美汐は赤井川村を選び、古い家を貸して頂き、あさひ丘工房の建設に着手しました。
一階が工房で二階が住まいです。

基礎工事から私と珠帆の二人で行いました。
重さ10kgの基礎用コンクリートブロックを2000個ちかく運び、積み上げ、コンクリート流し込みました。

在来軸組工法です。
垂木になどにツーバイ材を利用してますが、日本で一般的な大工が建てる木造建築です。
断熱はセルロースファイバー。
屋根は長尺カラー鉄板横葺きです。

家のまわりに、花壇を作り、菜園を作り果樹園をつくりました。 忙しくてなかなか手入れができず雑草だらけですが、自分たちで作った野菜や果物を食べるのは至福です。